
人が本当に「死ぬ」時とは、その人の事を記憶している人々が全ていなくなった時である。
これは良く聞くフレーズではありますが、この様に素晴らしいドラマで見せられると、そのテーマの深さに圧倒されます。
電王が始まった当初、どうしてわざわざ過去に飛んでバトルするんだろう、と思っていたのですが、このテーマと同時に、特撮物としての破壊のカタルシスを出すアイデアでもあったんですね。
「例え過去が壊れても、人の記憶がもう一度時間を作る」
「人の記憶こそが、時間なんだ」
ハナにしても侑斗にしても、良太郎達やデネブが一緒にいます。
だから時間からはじき飛ばされても、彼らはまだ生きています。
しかしピアノマンはその意味では本当に死んでしまったのです。
イマジンを倒すと、過去に消滅した人々が次々と再生されます。
しかし、その中にピアノマンはいませんでした。
覚えている人が誰一人いなかったからです。
余りにも悲しい結末…。
しかし!
その後の「希望」には目から鼻水が出ましたよ。
今まで何気にエキストラとして出ていた電ライナーの一般乗客の人達は、ピアノマンと同じく時間からこぼれ落ちていた人々だったのでしょう。
そう考えると、それもまた切なく。
二重三重に折り重なるドラマ。
一流です。