
一部、かなり乱暴な文章になっています。
あくまで極端な例としてお読み下さい。
戦中は祖国の為に死のう、と言われた。
戦後は友や家族を守る為に死のう、と言われた。
愛する人の先には愛するコミュニティがあり、その先には愛する故郷が、愛する祖国が、世界が、宇宙が。
愛するモノの為に死んでいく。
その自己犠牲は美しく、尊いものです。
しかし、キタンはそれと同時に自分の為に死んで行ったのです。
その死に様は、第三者が「ああ、尊い犠牲だ」などと軽々しく口に出来るようなものではありません。
…いえ、ひょっとしたら単なる自己満足なのかも知れません。
しかし21話でも提示された、小さな命も大宇宙の命も同じだ、というテーマは、ここにも息づいています。
その小さな自己満足は、仲間に、そして空しく消えていった過去の螺旋族へ、宇宙へ、強い意志として手渡されました。
突き詰めると宗教的な部分にまで行きそうですが、やはりミクロとマクロとは同じ存在だ、というテーマに収束して行くのです。
どこまで話がでかくなるのか。
最後まで見届けていきたいものです。