
小説版のネタバレを含みます。
アニメ版の設定をもとに、脚本家の宮村優子(当然、アッチのみやむーではない)さんが独自の解釈で描いた小説。
とにかく、日本語が美しい。
日本語が正しい、ではなくて美しい。
キラキラしています。
「イサコ」
ぎょっと天沢さんが黙った。
「その代わりにそう呼んでいい」
「いやよ」
「イサコ」
「いやだって言ってるでしょ」
「いやなことされるのが好きなくせに」
(C)宮村優子、磯光雄、徳間書店
本文紹介のカバーにも書かれている部分なので紹介してしまいますが、一部ネットで有名になってしまった(笑)一節。
小説版のヤサコも物腰は柔らかいのですが、かなり芯が強く、この部分を字面だけで見るとヤサコのサディスト的な部分だけが目立ってしまうのですが、実はこの後に来るト書きが美しい。
だれか、と思った。
だれか、わたしたちを見ていて。わたしたち小此木優子と天沢勇子はおそらくいま、これから先何十年かを生きて行く中で、一秒も抜き差しならないいちばん「もと」の時間にいる。今日ここ、この瞬間が出発点になる。
(C)宮村優子、磯光雄、徳間書店
デンスケが行方不明になった時にフミエが言った言葉「こどもは泣かない」。
大人は泣くのである。
泣くことで人の注意を惹き付けたり、頼ったり、コミュニケーションを円滑にしたりする。
小説版オリジナルキャラである前の街での親友「タラちゃん」は、そんな「子供や大人」といったものを超越した存在だった。
しかし、彼女はもういない。
「あたしを、あなたが失っただれかの代わりにしないで」
(C)宮村優子、磯光雄、徳間書店
弱みを見つけたイサコは追撃する。
そこで、ヤサコは先の言葉を発します。
「イサコ」
(C)宮村優子、磯光雄、徳間書店
この対峙した少女達のきらめき。
一巻目最高の見せ場です。
ラスト近く、タラちゃんに「自分はだいじょうぶだよ」と伝える力を、電脳力が欲しい、とメガばあにすがりつくヤサコ。
それを受けた、メガばあの台詞が心に染みます。
「こどもに冒険をおしつけるのは、われわれおとなの都合というわけかのう…せつないのう…」
(C)宮村優子、磯光雄、徳間書店
とても美しいジュヴナイルです。