特にAパート。
お盆で田舎に帰ったみかんちゃんは、おばあちゃんに、素直を好きになった時の事を話します。
ポカをしてマラソンでビリっけつを取ってしまったみかんは、先生や友達に慰められます。
まだこの時点では、京ちゃんもみかんの事を「夏さん」と呼んでおり、今でこそ「脇毛は手遅れだろう」とか毒づける仲になったねねちゃんでさえ、この時は「着替えて来いよ」という、微妙によそよそしいフォロー。
自分が悪いという事は解っている筈なのに、みんなは慰めてくれたりフォローしてくれる。それは嬉しいんだけど、だからこそみかんにとって、今この学校という場所はとてつもなく居心地が悪い場所となってしまいました。
しかし、教室に入ると素直が「お帰り」と一言。
多分サボッていたのでしょう素直はマラソンの顛末を知らず、何の深い意味も無く普通に「お帰り」とみかんに呟いたのです。
その言葉に、「ああ、あたしはここに戻って来ても良かったんだ」と救われたのです。
そしてみかんは笑顔で応えます。
「ただいま」
そして、Aパートのラストシーンにて、みかんが田舎から帰ってきた時に素直は再び「お帰り」と言います。
みかんは「きっと森山君は覚えてないだろうけど」と言っていましたが、もしかしたら素直は覚えていたのかも知れません。
みかんも再び笑顔で「ただいま」と応えるのでした。
何とも美しい構成。
更に言えば、亡くなった人が帰ってくるお盆という年中行事も平行して、天国のお母さんに「おかえり」「ただいま」という三重構造にもなっています。
質の悪い萌えアニメとかは、物語が始まったらもう自動的に主人公の事を好きになってましたー、みたいなどーでもいーやーという描写が多く見られますが、人が人を好きになる瞬間というのを描ける作品は、極めて少ないものです。
1話を見ただけでは、鼻血ぶっ放して妄想爆走するただのバカにしか見えなかったみかんちゃんでしたが、ここまで深くキャラが掘り下げられました。
この構成力の素晴らしさには、頭が下がります。
Bパートのラストシーンでは、冷蔵庫の音が羊水の中の音に聞こえる、という描写。
それは素直も感じ、同時にぽてまよも感じています。
兄妹なんですね。
ただ、気になるのはOPアニメのラストカットで、その冷蔵庫に素直とぽてまよの写真が貼ってある意味。
一緒に毎日顔を突き合わせて暮らしているのなら、「楽しかった日をメモリーする」写真なんて必要無いんですよね…。
多分、物語の最後には、二人の別れがあるのでは、と予想されます。
Aパートにじっくり時間をかけた分、Bパートの祭りの夜編はあっさり終ってしまったのが残念。冷蔵庫胎内回帰フラグを立てるために、〆のオチが犠牲になってしまった感もあります。素直が精神的に親離れして自立したとき、ぽてまよは消えてゆくのでしょう。となると、ぐちゅ子はぽてまよを消す鍵の役割を担うのでしょうね。
なるほど、あのキャラデザと大きな鎌は「死神」のソレと解釈出来ますね。
今回はAパートの構成が神憑っていた分、Bパートの夜店が本筋から浮いてしまっており残念でした。