
ねねちゃんについては、後で猛烈に語りますので、まずは細かい所から。
「展示物には、お手を…」で(これから考えオチ行きますよ)と助走をつけて、みかんの頭を引っ掴んで「可動部を無理な方向に」、そしてねねのモノマネで「類似品にはご注意下さい」
ぽてまよの天にも昇るイメージも、本来なら視聴者が入れる筈のツッコミ所に、冷静なテロップで先手を打ってしまい、視聴者側のツッコミをスベらせる、という高度なギャグ。
また、なかなか凄いな、と思ったのはBパート冒頭で屋敷の巨大感を見せるシーンでのアングル。
脊髄反射と慣れでコンテを描いちゃう様な演出さんですと、ローから人物舐めで屋敷をパンアップさせるだけなのでしょうが、最初に俯瞰でキャラを引いて屋敷の頂上をフレームインさせて、その後に逆にパンダウンして平行アングルに落ち着かせる事で、ダイナミックさと共に安心した着地感も感じさせてくれる見事さ。
この冒頭のキャラを思い切り引く技術は、デジタル撮影の最も得意とする所で、逆を言えばデジタルという技術を手抜きの道具にしか使わず、勉強を怠っているスタッフには考えつかない演出です。
そしてBパートでやっとメインを張ったねねちゃん。
白いワンピ水着にハイネック、見事なまでの下腹部デブ(別名イカ腹)の幼児体型のフェチりまくり…、とまあその辺はどこでも書いていらっしゃる事でしょうから、ちとまた固い事でも。
この作品で驚かされるのは、メインを張るキャラには全員「家庭」を丁寧に見せている事。
あまり感情を前に出さない素直と、奔放だけどスキンシップを必ず取る父、そして天国の母。
深読みをすればクルクルパーにも解釈出来る京ちゃんのママと、だからこそか細かい事に気を回さない(回せない?)豪快な京ちゃん。
地域密着型の八百屋さんで元気な両親を持つみかんちゃん。
その弟である哉純の、今にも姉をレイプしかねない描写も、アバンを見て解るとおり恋愛の対象じゃなくて「萌え」てるだけなんですね。折しも今回のギャグにあった様に、好きな萌えフィギュアを独り占めしたいだけ。
あの強引な性格も、わりと好き勝手させてくれる姉に甘えてる訳で、登校シーンで哉純がみかんを無視してサクサク歩いてるシーンなど、みかんが必ず追いかけて来てくれると信じてるから出来る我が儘。
そうやって見ると、ガタイはでかいが中身はお子様な哉純の可愛らしさが読み取れます。
この様に、そいつを知るには家族からです。
面白かったのは、ねねとねねママとのやりとり。
保護者と被保護者との関係が完成されています。
凄い家だね、と言われたねねは「あのバケモンは金儲けが得意でな」と、自分はママに保護されている事を自覚した上で、「私は金持ちだから偉いんだ」という、至極真っ当なスタンスを持っております。
自分で働いた金ではなし、その子供であるねねが偉い訳ではない、とか言う声があるかとは思いますが、金イコール権力。
これは当たり前。
それを生まれながらに持っているねねは、生まれながらに偉いのです。
ただ、ねねが本当に偉いのは、先にも言った、自分が偉いのは母の存在のお陰だ、というのを理解し、一目置いている、という事。
ねねの言う「あのバケモン」という言葉は、当然厚化粧整形しまくりの意味もあるのでしょうが、一人でこれだけの財を成して「自分を偉くしてくれた」相手への畏敬が含まれているハズです。
それが理解出来ないただの金持ちボンボンですと、イエスマンの取り巻きを侍らせるだけで、みかんちゃんや京ちゃんの様な「友達」なんて出来るはずがありません。
「おめーは解ってねーなー。尻尾振って命令待ってる犬相手ぢゃつまんねーだろ」
この台詞に、ねねちゃんの聡明さがはっきりと打ち出されています。
ねねをただ愛玩するだけの三人の兄は、確実に彼女を腐らせます。
だからねねは、そんなクソの役にも立ちもしない兄共なんかより、むったんを選び、花火も「向こうでみんなとやる」のです。
自分の立ち位置を完全に理解しているんですね。
母親は離婚し、ねねには父がいません。
しかし、バーベキューパーティーでねねママとツーショットされているのは、何と薫。
つか全然違和感無くて、ああねねのパパだね、とスルーしそうになったくらい。
ママはねねを見守り、薫はむったんを見守り、それのツーショットですよ!?
こんな不自然なペアショット、意味がなきゃ入れないって!
なんか早くもねねとむったん決定でしょ、的な描写に度肝を抜かれたと言うか、あきれ果てたと言うか(笑)。
まなびでのももちゃんを徹底的に煮詰めて汁の一滴も残らない濃縮カリカチュア状態になったキャラが、ねねちゃんなのかも知れません。
深読みのしすぎ、というか既に妄想入ってそうな今回の考察でしたが、少なくともねねちゃんは立派な子。
そうはっきりと伝わってきた一話でした。
あ〜気合い入れて書きすぎたZE。
ねねの比較対象として、もも@まなびストレートを持ってきたのは鋭い着眼ですね。両者ともお嬢様で不思議ちゃんですが、ももに比べるとねねの毒性がはっきりわかります。その毒性を熟知した上で気負いなく付き合う京。彼女は、むっちー@まなびストレートの立ち位置です。さらに、底抜けに善良なみかんが加わることで毒消しになっています。
先週からサイドストーリで出張っている平凡三人組は、ねね・京・みかんの濃厚三人組との程好い対照になっており、無駄なく隅々まで計算が行き届いています。
いや、ちょっと今仕事が忙しくて、現実逃避+ストレス解消で書いてたらこんな事に(笑)。
ねね=もも、はすぐに思いついたんですが、むっちー=京、みかん=みかん(まんまだ!)、というのは気付きませんでした。
なるほど、立ち位置構図や対消滅具合もそっくり。お見それしました。
そして「ABCの友」の皆さんの、のんびりした雰囲気が無いと、なかなか疲れるアニメになっていたでしょうね。
無駄もありませんし、バランスも良く、センスも良い。
「濃すぎる」という人を選ぶ点以外は、特に今のところ欠点らしい欠点が見えないのもまた凄い。
自分の中では電脳コイル追い抜いてるかも知れませんデスよ。
電脳コイルは、堅実で高値安定、見ていて安心感があります。
一方ぽてまよは、突然変異の快作で、見ていて先行きの予想がつかない。こういう期待感は、まなびストレート以来です。髪のグラデ彩色や、ぷに系キャラデザなど、両作品は表面的に通じる部分が多数あります。
ただ、まなびは超演出やオシャレ感など、スタッフの自己顕示が強烈だったのに対して、ぽてまよはスタッフの暴走がいまのところ全くない。内に秘めた能力の高さは十分感じられるだけに、最後まで抑制していくのか、どこかで噴火するのか、注目しています。
あとなんかこの作品、結構深い所突いてるんですが、不当に評価されてないのが悔しくて、つい書いちゃうってのが(笑)。
わしも若いなあ(笑)。
「まなび」は、まなび達がステキな学園祭を創り上げようとする前に立ちふさがる障害を、スタッフのアニメ制作の前に立ちふさがるソレとを、明らかに重ねていましたね。
その分、血を吐くような強烈な葛藤やドラマが見られたのですが、おっしゃる通り、作品の向こうにスタッフの「顔」が見えてしまうのが難点と言えば難点でした。
しかし「ぽてまよ」にはその気負いが無い。
いえ、無いハズは無いのですが、それは本来視聴者に不必要なものであって、「俺たちはこんなに苦労して作ったんだぞ」とか語られても白けるだけで。
言葉を言い換えますと、気負いが伝わってこない。
だから、「作品」だけを純粋に楽しめる。
そこが素晴らしい点だと思います。