当初は、多動症気味のゆずこと頭の緩い縁に、常識人の唯が振り回されるお話かと思っていましたが、むしろ逆。
超えてはならない一線をしっかり見極めた上で暴れているゆずこはかなり頭の切れる子ですし、縁も先週の家庭の事情を知った上で言動を見つめなおしてみるとこれもまた現実をしっかり受け止めている聡明な子。
最終話は、素直に物事を楽しめない唯を、ゆずこと縁が背中押ししてあげる物語で締め、見ているこちらが成長させられた感じでした。
縁が寝ている時、この子には幸せな結婚をしてもらいたいととゆずこが呟きます。
先週みせた縁の家庭の事情でしょう。
コンビニ買い出しで一人取り残された縁は、マクラにヨダレ(涙)を染み込ませます。
もしかしたら、辛い夢を観ていたのかも。
そしてロフトベッドでのゆずこと縁。
「こうして縁ちゃんが笑ってくれればそれで良い」と言うゆずこは、普通に見れば百合妄想的なコメディに見えます。実際唯もそのまま受け取ってマジレスしていますし。
そしてその言葉を受けた縁は照れ笑いするのですが、実はその直前に少し驚いた表情を見せてるんですね。
ゆずこは自分の事を分かってくれてる。
言葉でやりとりしなくても、二人の間に強い絆が出来たような感じ。
まあ、これらは深読みのしすぎかもしれません。
でも縁が顔を伏せていたマクラに、ゆずこが同じように顔を伏せて喋っていた台詞です。
演出意図があるんじゃないかなと感じた次第です。
これらキャラの立ち位置などもそうですが、もう一つこのアニメを観ていて見方がひっくり返った事といえば、これは萌えアニメじゃないなと感じた事でした。
萌えアニメというのは、キャラクターがある意味カメラに向かって媚を売り、視聴者を楽しませるものとも言えます。
でもこのゆゆ式、楽しんでるのは本人たちだけな気がするんですね。
ぶっちゃけこいつらの会話は飛びすぎてて理解出来ないし、どこに彼女たちの笑いのツボがあるのかすら分からない事もありました。
スタッフは、三人を操って視聴者サービスをしているのではなく、唯とゆずこと縁たちを楽しませてあげる為にこの世界を作っている。
なんかそんな温かいものが根っこにあったんじゃないかと。
そんな気分にさせてくれました。
それら見方の変わった今、もう一度「ゆゆ式」、見なおしてみたいと思います。