
好きだという気持ちを貫く為に運命に抗って抗って、それでもどうしようもない事はあります。
それを若い頃の辛い思い出として涙に暮れつつそのうち忘れようとしてしまうのか、その思いを貫く為にカメラを回し続けるのか。
その選択によって、未来は変わります。
樹に刻まれたコンタクトの証を消されて、海人は自分の中で先輩を死んだ事にしたのでしょうか。
いや、そうは思えません。
海人がラスト近くで本を読み、勉強していたのは何でしょうか。
本のタイトルには「古」という文字が見えます。恐らく古文書とか歴史書など、コンタクトの証が他に無いかと探し続けているのではないか。
彼は諦めていない。まだカメラを回し続けているから。
海人やみんなが諦めない限り、みんなのお母さんである檸檬先輩も彼らをサポートしてくれます。
やがていつかイチカにあの服を渡せた時、あの夏の映画は完成するのでしょう。
むしろ、脇役のほうが魅力的で困る。トリックスターの檸檬先輩は、正体がMIBというふざけた設定があろうとなかろうと揺らがぬ確固としたキャラクターが頼もしく、一貫して報われぬ青い子の柑菜にはどっぷり感情移入し、女として生々しい行動をとる裸族の美桜にも共感できた。それに較べて主役二人は最初から出来上がっていてつまらない。好きになる瞬間、惹かれ合ってゆく過程が描かれていないのが原因かな。
同じ長井監督作品「超電磁砲」でも、物語の主役である御坂美琴よりも、脇役の佐天さんのほうが魅力的でした。監督の癖でしょうか。
>むしろ、脇役のほうが魅力的で困る。
確かにその辺はおっしゃる通りですね。
ある意味この海人とイチカがカップルになる事により、他のキャラクターの成長を促す構図になっており、主人公たちと言うより他のキャラの引き立て役に近いんだと気づきました。
超電磁砲では(わあ、ぐぐるFEP、「れーるがん」で「超電磁砲」と変換された)美琴に精神的な弱さが殆ど無かったのが原因でしょうか。
やはり佐天さんの様にコンプレックスの塊の方がそれを乗り越える過程を描けるものですからね。