それにしても惜しい。メチャクチャ惜しい。
これでたっぷりの時間さえあれば涙ボロボロ物だというのに、あまりにテンポが速すぎて情報を受け取るのが精一杯。モノ作りというものは上手くいかないもんですねえ…。
足を投げ出しての観鈴の号泣には比較的時間を割いており、声にせよ作画にせよ、その演技に相当こみ上げてくるものがありました。
この1話を3話くらいに分ければ、もう5分おきに滝のような涙を約束されているというのに。
せめて2クールあったら…。
こうなると、この辺の猛烈な情報量を、トータルで言えばテレビ版よりはるかに少ない尺で上げている筈の劇場版が、どう処理しているのかが気になります。
さあ、次週からまた時間が動き出します。楽しみです。
映画は相当削っているところが不評のようですし。
今回は、一度出てきた場面については、これでもかとアングルを変えて再度なぞってゆく手法が恐るべしです。
立体的な絵が頭の中に構成されるってのが面白い。
一千年たっても、往人は直接手を差し伸べられない。
その残酷ですらあるもどかしさは、しかし我々視聴者なりゲーマーの思いそのものでもある。
この満ち滲みてくるやるせなさが、この作品を支える本質なんでしょう。
この時代の気分なのかな。
だから実は言われるまで歌詞を聞いてなかったです。いやマジで。
「この時代の気分」というのもまた色々とめぐらされます。
みんな1999年の大破滅を待った。別に地球が滅亡、とかで無くても何か大きな事件が起きて、自分の抱えているこの閉塞感を壊してくれるかもしれない、と。
でも何事も無く21世紀は来てしまいました。なんだ、世界の終わりなんか来ないんだ、と。僕たちはずっとこのままなんだと。
そんな感覚もあるのかもしれませんね。