
全体的な演出にかなり不安が。
例えば冒頭でアンが樹から落ちるのですが、あの高さと角度なら首の骨を折って死んでいる筈。
そんなのアニメなんだから嘘も方便だろう、という声があるでしょうが、「赤毛のアン」にてアンが学校の屋根の上から落ちるエピソードを知っていれば、あんな無神経な演出は出来ない筈。
また、アンの描き方に対して「可愛らしく」描こうとして「媚び」が見えます。
この辺、視点をどこに持っていくかが問題なのですが、高畑勲監督はアンの突拍子もない行動に驚く「周囲の大人達」に視点を据えて、カメラをアンから突き放しており。
そしてそのアンの行動を、ことさら「不細工」に描く事によって魅力を紡ぎ上げていったもの。
しかしこのアンは、「ほらわたし小動物でしょ、萌えてよ」と画面に語りかけて来る様で、いただけません。
BGMも、厳しい現実を描くシナリオを中和させる様な形で明るい選曲をしていたりして、使い方が後ろ向きだなあ、と感じてしまい。
まあ、日本を代表する演出家の作ったものと比べてしまうのは酷だとは思うのですが、それなら比べられる様な企画を立てるのはどうかな、と思う訳で。
高畑版「赤毛のアン」を見てきた人にとっては、かなり辛い戦いになりそうで、ちょっと文句以外出なさそう。
視聴断念とさせて頂きます。

タグ:1話切り
高畑アンには「このバカヤロー」って感じしかなかった。
原作も然りなんだけど、あの年齢でそれはないだろ、お前何夢見てんだよ
ってな思い。
今回のは年齢相応で、なるほどと納得できる。
アンが可愛らしく思えるって、意表を突かれた訳です。
あらら、高畑アンはダメでしたか。
私の中では小説もそうなんですが、アン・シャーリーって珍獣なんですよね。
だからガリガリで不細工でえげつない、そんなアンを端から眺めてて楽しめる。
「まんがの手帳」だかで読んだのですが、高畑監督はアンにどうしても感情移入出来なくて、これはユーモア小説だ、と割り切ったとか。
あのアンを可愛らしく描き直そうっていうのは、なんか当たり前すぎて、私はダメでした。