特に後半裁判所シーンでのチープなセットは、演劇を意識してチープに作ったのか、はたまた本当に技術力不足なのか良く解りませんでした。
しかし、テーマともなる「光の輪」の余りに情けない合成を見るに、どうも技術力不足の線が濃い気がします。
マスクが切れていなかったりとか、「光の輪」が出ている最中には合成の都合でしょう、役者がピクリとも動かなくなったりと、1992年の映画とは思えない合成。
円谷プロに頼めとは言いませんが、もう少し何とかならなかったものでしょうか。
そんな中、一人気を吐く三國連太郎。
魚の様な目をしてもぐもぐと人肉を生で咀嚼するカットはおぞぞぞぞーっ。
ただこの映画を見終わっても、何か腑に落ちない感覚がずっとあり、それはこの怪演にあったのではないかと。
だって三國連太郎だったら人肉とか普通に喰いそうなんですよね。
こんな演技を見てしまったら、視聴者が人肉を食べるというのはどういう事かとか考えたり、自分ならどうするかとか葛藤したりする前に「三國なら喰う!」と納得してしまいます。
そんな自分に、いや納得しちゃいかんだろ、とセルフ突っ込みしちゃいそうな。
なんかこの人がテーマから何から全部持ってっちゃった感じが。
怪作です。
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