
最初はスケコマシのヤサ男(少年?)かと思ったレニーニでしたが、自分をこんな風にした神を怨まず、全てを受け入れてまっすぐに生きるその姿に感銘を受けました。
ハッチンを時計塔に誘うレニーニは、当然昔の記憶が無い筈。
にも関わらずあんな美しい風景をレニーニが知るには、常に美しいモノを求めて探し続けていなければ見つからなかった筈です。
見るモノ全てが美しく、そして雲の隙間から差し込む日の光にて、ハッチンの美しさを見出しました。
彼はハッチンの事を天使と呼んでいましたが、本当に天使の様な無垢な心を持っていたのは、レニーニ本人だったのでしょう。
女の子からはモテモテのハンサムハッチンですが、男の子からのストレートな好意を受けるのにはまだ心の準備が出来ておらず、このモヤモヤした気持ちを理解出来ません。
いえ、理解していたのかも知れませんが、恋多きだらしないミチコと暮らしている内、恋や愛というものに対して汚らしい、という幻滅の感情が根を張ってしまったのかも知れません。
だから自分の中で恋が芽生えた時、穢れてしまった様な気がした。
そう解釈すると、なかなか面白いですね。
親としてはどうよ、というミチコですが、恋の先輩としての彼女はあちこちに気を使い、ハッチンを影から助けようとします。
ラスト、ハッチンを優しく抱きしめるシーンは、親子の愛ではなく、友情を感じました。

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