ネタバレ注意
ボクシングシーンの完成度やら一瞬で状況が解ってしまう神業的なカメラワークなど、色々語りたい事は山ほどあるのですが、伝説のラストシーンに絞りたいと思います。
チャップリンの人間観察、人間描写の凄まじさをまざまざと見せつけてくれたラストシーン。
一目惚れした盲目の花売り娘の為に、金持ち紳士のフリをして献身的に尽くすチャーリー。
そして紆余曲折を経た上で、大金を娘に渡し、自分は無実の罪で牢獄に入れられてしまいます。
そのお金で手術をした娘は、目も見える様になり、同じく大成した花屋で、あの時のお金持ちの紳士が現れるのを待ち焦がれていました。
そうとは知らず、身も心もボロボロになってシャバに出て来たチャーリーは偶然娘と目が合ってしまいました。
驚くチャーリー。
娘は「私に気があるようよ」と笑いながら、チャーリーに花と小銭を恵もうとします。
そして花を渡した時、その手の温もりから娘は気付きました。
「あなただったのですね?」
そしてこの時、チャーリーはつい「見える様になったんですね」と応えちゃうんですね。
格好悪い。
ここでチャーリーが「いや、人違いでしょう」とか言って去れば美しい感動物語で終わった筈です。
二流のシナリオライターならそうしていたでしょう。
しかし彼は恐る恐る、僅かな期待を込めて正体をバラしちゃうんですよ。
最高に格好悪い。
でも、これが人間の弱さなんです。
同様に娘も決して聖人ではありません。
このみすぼらしいルンペンが、自分が待ち焦がれていたお金持ちの紳士だったんだと知ったときの、幻滅と驚愕の表情。
チャーリーは、恥じ入る様な、でも心の奥底で期待している様な、切ない笑顔を見せます。
ここで映画は終わります。
娘はチャーリーの事を受け入れたのか。
二人はその後幸せになれたのか。
一切語られません。
この余韻があったからこそ、70年経った今でも語り継がれる名作として君臨しているのです。
この映画が作られた頃、映画はトーキー(音付き映画)に流れていましたが、チャップリンは敢えてサイレントに拘りました。
台詞が無いからこそ伝わるものがある。
最高のシナリオとは無言である。
というのを本で読んだ事があります。
それはまさにこのラストシーンにおける二人の、特にチャーリーの表情に集約されているのです。
人間とは何と滑稽で、愚かで、切なくて、そして素晴らしいものか。
それを教えてくれる映画です。
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