大傑作でしたがその地味な内容で興行的には失敗してしまったアイアンジャイアント。
それを製作したブラッド・バード監督が、今度は誰が観ても楽しめる超娯楽大作を放ちました。
ディズニーらしく家族愛がテーマで、単純で痛快なストーリー。
しかし私は、敵役のシンドロームの方に心が寄っていました。
表面的には痛快なヒーロー物なのですが、その奥底には別のテーマが潜んでいます。
少年時代のシンドロームはインクレディブルを信奉する、ストーカーに近いファン。
彼は、遊び気分でインクレディブルのパートナーになろうとしたのを、人命救助で忙しかった彼に邪険にされた過去を怨んでおり。
そして、そのねじ曲がった愛情は、やがて彼の心を確実にむしばんでいきました。
シンドロームはその悪魔的な頭脳で学習型殺戮ロボットを造り、そのデータ収拾の為に過去のヒーロー達を虐殺。
そしてそれを街に放ち、自分がそれを(インチキで)壊す事により、スーパーヒーローになろうとしていました。
クライマックス付近にてシンドロームは、歳をとってスーパーヒーローに飽きたらこの発明を売って誰もがヒーローになれる様にしてやる、と言います。
「みんながスーパーヒーローになったら…?
…スーパーヒーローはもういらない…!」
…スーパーヒーローはもういらない…!」
自己矛盾を抱えた心に、ねたみ、ひがみ等の負の感情が渦巻き、それは既に救いようのない程に膨れあがっていました。
ああ、悪というのはこの様にして「造られていく」んだな、と。
ラスト、彼は事故とはいえ絶命します。
スーパーヒーローに憧れインクレディボーイを名乗っていたあの時に、誰かが彼を助けてあげられていたら…。
インクレディボーイは大人になりシンドロームを名乗り、人を殺しました。
もう「子供だから」では許されないのです。
制作はピクサー。ディズニーの3D映像部門です。
よくあの保守的なディズニーが、シンドロームの死というモチーフを受け入れたものだ、と驚きました。
ブラッド・バード監督の熱意だったのでしょうか。
「やっぱりああでなきゃ、昔みたいに」
「あぁ〜昔は良かったですねぇ」
「あぁ〜昔は良かったですねぇ」
ラスト近く、語る老人のその一言だけに八奈見乗児さんと滝口順平さんを連れてくる辺りの配慮は、ちょっと微妙だった主役陣の声を相殺してくれました。
良い映画を観た後は、なんか嬉しくなりますね。